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陰翳礼讃 - 谷崎潤一郎

研ぎ澄まされた日本的な美的感覚を謳歌する、あまりに有名なこの本が書かれたのは七十数年前、ギブソンがアフォーダンス理論を発見するよりさらに前のことである。恐ろしくも内容はアフォーダンスの認知科学論と類似している。日本の環境に適応すべくできていた建物や食器や食べ物を、谷崎流の美しくわかりやすい筆致で説明してくれる。日本家屋の薄暗い部屋のなかでこそ生きる床の間に飾られた絵、金の蒔絵の施された漆器、それらは環境にぴったり寄り添うように存在していて美しい。西洋流の明るく真っ白で乾いた環境とは違う、薄暗くて湿気が強くて四季がある我が国ならではの美しきアフォーダンスなのだ。吉行淳之介も深澤直人も絶賛する羊羹のくだり、「だがその羊羹の色合いも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへと沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中へふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くはない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」は、味覚までを含んだ羊羹のアフォーダンスといってもよく、それは明るい室内では決して味わうことのできない味なのだ。

もう一つは薄暗い中で美しい女性というのが、西洋や現在のミス・ユニバース的でフォトジェニックな美人像と全く違っていて、化粧も見えないスタイルも見えない夜の帳の中では、声の質だとか触覚だとかが重要な要素となるというのも非常に面白い。「女というのは闇、女というのは衣擦れの音のことである。」昔の人はものすごい感覚の持ち主だったのだ。かっこよすぎる。通い詰めた女性を偶然昼間みてがっかりというケースもあったようで、まあこれはかなり身勝手な男の性のようだ。

もう一つ、懶惰(=怠けること)の説という短編のなかに面白い東洋と西洋の比較があった。それは、日本はものぐさ太郎に代表されるように怠け者もある程度許容されていて、しかも世を捨て山に隠り、瞑想にふけるようなのを聖人とするような思想が根付いているという箇所だ。そう、昔からフリーターやニートなんか当たり前だったのだ。それに対して西洋的精神は、「我々は勇ましく街頭に出て、病める物に薬事を与え、貧しき物に物資を恵み、社会一般の幸福を増進するため見を粉にして働く人を道徳家である」と考える精神で、これはもうアメリカの行動を見れば一目瞭然に理解できる。困っている人がいれば助けないと気が済まない、悪い奴がいれば懲らしめるのだ。最近はどうにも仮想敵に戦うドンキホーテの滑稽さだけど。
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