[ 2008/08/30 18:39 ]
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2人のスティーブのことを思う。キリストのようなジョブスとグノーシスを体現するウォズニアック。この2人がいなければ今のようなコンピューターの世界は訪れなかった。(ビル・ゲイツが残したのは功績ではなく預貯金だけである。聖書を読んだことは無いけれど、ビルのようにうまくやった人っていうのもきっと出てくるのだろう、もちろん悪役で。)ジョブズのプレゼンテーションは非常にわかりやすく、英語なんか知らなくても何を言いたいのか、売りは?ポイントは?なんなのかすぐにわかる。キリスト教の布教という行為と類似する。アップルを信じるものは救われる。そんな気が本当にしてしまう。CEOに返り咲いてからどん底のAppleをここまで盛り返した。資本主義、大企業の論理に向いたキリスト教、「信じるものは救われる」という言葉にぴったりはまるのがジョブズである。一方ウォズのほうは求道者然としていて、売れるとか売れないとかよりより高い技術を求め孤高の研究に没頭する。グノーシスだ。 個人的にはウォズに肩入れ派で、同様にタイプを打つ速度でアセンブラが打てる男、GPLの祖リチャード・ストールマンとか、世界一有名なフィンランド人リーナス・トーバルズ氏とか資本主義的概念を超越して技術を生み出すということに憧れたりしている。それはどの時代にも潜在的に潜むグノーシス派の顕在化のように思えてならない。インターネットとかGPLとかLinuxに蓄えられる叡智は、資本ということでなく違う次元の何かを実現してくれている。 キリスト教とグノーシスということについて調べると、結構びっくりするようなことが判明したりして面白く、キリスト教って姦淫を禁じるというか女性の立場が弱いのは知っていたけど、「知」を悪いものとみなしたりと、かなり無謀なように思えてくる。一方でグノーシスは選民主義を表明していて選ばれたものだけ神とひとつになれるという定義があるようで、それはそれで危ない雰囲気だが、「知」というもの「女性」というものを肯定するとのことなので僕的には一安心。
 デザインするということについて行き詰ったりちょっと一息入れたいときこの本をお勧めします。原研哉によるデザイン解体新書。少し硬いのが気になりますが、万人に理解できるようにかっちりまとめられていて、隙のない原氏のデザインのように隙のない本です。装丁もいたってシンプルにロゴが打ってあるだけですが、その書体から滲み出るオーラは凛として美しい。驚いたのは愛知万博の裏話。これを読んだら行きたくなくなります。世界に誇れるはずだった万博を経済活動のために誰かが台無しにしてしまった。「欲望のエデュケーション」=「デザイン教育の不足」というのが日本中に流れていて、それはデザインするものをいつも悩ませています。原氏も指摘するように建築のエデュケーションはかくも長い間「不動産広告のチラシ」だったわけで、「建物探訪」「ビフォー・アフター」がそうでないものにようやく目を向かわせてくれましたが、エンターテインメント的側面にスポットが当たりすぎて本質とは違う方向に行きかけているのが惜しく、チラシに載っているnLDKという間取りとか南向き信仰みたいなものが、幅を利かせすぎて閉塞しきった状況になっています。義務教育には「デザイン」ましてや「建築デザイン」は登場しないので、そこら辺を改善できたらばと思います。読み書きそろばん、英語やピアノは早くから教えるけれど、デザインは教えない。学校で教えてくれないのなら、不肖私が、少なくともうちのチビさんたちには良いものを見る目を、心を伝えてあげたい。
 大和郡山にあるパン屋さんでイベントがあり、うちの家内が こういうことをやっていて出展するとのことので、応援(冷やかし)に息子とおそろいTシャツ(もちろんBAGEL謹製)を着て行きました。とても素敵な雰囲気のパン屋さんでイベントも盛況でした。Tシャツ屋を手伝えばよいもののなぜかパン屋さんの方を手伝っていた僕。炭をおこすのを手伝い、特権でその炭火で焼いたベーコンサンドを一番に食べさせてもらいました。ここのパンは美味なり、本当に。ほかにも何店舗か出展されており、単なるフリーマーケットとは違って良い空気の流れる空間でした。古い民家を利用した店舗の雰囲気も良い感じ。
 これが商品です。宣伝しておきます。将来的には、Tシャツだけでなくいろいろな服も自分で作りたいです。買おうと思うほどの服がありません。ちなみに実家が昔テーラーをしていました。両親に弟子入りするか?
 園の行事でファミリーデイという親子レクリエーションがあって、近所のカトリック礼拝堂で毎年恒例で行われてます。お父さんの会にも仕事があって、とはいっても「駐車場整理」「荷物運び」「綱引き」ぐらいなのですが、今年はもうひとつゲームをということで「動物探し」というのをやりました。カードに一文字ずつひらがなを書いてそれを会場の広場の木に吊るして文字を探しながら、その文字を組み合わせて動物を探すという幼稚園にしては多少高度なゲームです。もちろん親御さんも一緒にやるので安心ですが。これはけっこう楽しかった。簡単と思ってたけど意外と手ごたえありました。文字もばらばらになると難しいもんです。折り紙やら工作でブーメランを作ったり、これは僕のほうが熱中して図案に凝ってみたりして楽しい一日でした。
 写真は敷地内にあるバンガロー。宿泊もできるそうです。この礼拝堂全体は雰囲気のよい施設ですが、となりに鉄骨ALCのあまり夢のない安普請の老健施設が新しくできていて、こういう建物こそいろいろと配慮を重ねるべきなのではとげんなり。歳とってそういう場所に入れられたくないなあ。
 小説のおもしろさとは現実と虚構のアンビバレントな感覚をどう扱うのかという所にあるのだとおもう。「昨日雨が降りました」とだけ文章に書いてみると、それは現実に降った雨かもしれないし、心の中に降った虚構の雨かもしれない。文章にすることによって、現実と虚構は同時に存在できることになる。この「蛇を踏む」は、蛇が女に化けたり、人間が小さくなったりといった寓話的な作品で、現実と虚構の同居という点からするとかなり虚構色の強い作品となっていて、その世界観、川上ワールドは独特のオーラを放つ。ただ個人的好みからすると現実への引き戻し感というか、うそと分かってるけど虚構世界を突き抜けていった先にリアルが存在する感覚(そういうことってあり得るよな、もしそうなったら僕はどうしようという感覚)があまりないのが少し不満。あとがきで、作者自身が「うそばなし」と言っていてちょっと確信したりしました。でも十分に読み応えのある本。
 ヘンリー君は掃除機です。我が家で長年使ってきたのが壊れてしまったのでM電化に買いに行ったのですが、そこにある掃除機はどれもこれもデザインがだめ。Dyson社製の物は性能はよさそうですがデザインが未来過ぎて価格も手が出なくて。困っていると息子が業務用っぽいところから、こんなんあるよーっと見つけ出したのがヘンリー君です。英国Numatic社より。M電化、やるじゃん。 掃除機をかけるという家事の負担を減らそうと3kg台で戦う日本製を尻目に倍の6.6kgの巨体。サイクロンがどうのと言うよりもとことん単純で無骨な機構。それをすべてカバーするのがこのユーモラス!なルックスで、それは家事労働を楽しいものに変えるというプラス思考の離れ業をやってのけてます。こういうプロダクトを見ると楽しんで商品を作っている外国らしいセンスが伝わってきてうれしくなります。 だいたい掃除機に名前がついているのが素晴らしいです。「掃除機とって掃除するから。」でなく「ヘンリー君、ごはんにする?」でいいんですから。掃除をするのは人間であるという普通の事実を、人格をもったロボットがご飯を食べるという行為にまで昇華させたパラダイムシフトに拍手を送りたい。ネットで調べると専門店まであって、色違いヘンリー君はおろか、ヘンリー君を収納しておくおうちとか弟ジェームス君までいてなんだか楽しそう。生活を楽しくアイテムとして愛用します。愛犬チャーリーも興味深々でにらめっこしてました。
 35歳と32歳の間宮兄弟はいまだに一緒に暮らし、いまだに一緒に遊んでいる。「カンバセイション・ピース」を読んでいるというだけあって、兄弟は横浜ファン。やさしくて読書家で知性もあるし、男たちにすら嫌われるオタクっぽい感じでもない。でも女性の側からすると付き合うということが「ありえない」「考えられない」タイプの男たち。兄は酒造メーカーサラリーマン、弟はヘミングウェイな用務員。かっこいいではないか。こういう付き合って見ないと分かりにくいタイプの人間を理解するのよりはと、安易な方向に走ってしまってはいませんか女性の皆様。依子、直美、夕美と少しづつ兄弟との出会いから(付き合ってみるまではいかないけど)何かを学んでいったように、江國さんが切り取る現代の縮図の行く末は、小説のなかでは結末は宙ぶらりんだけれどもまだまだこれから兄弟たちにとっていい時代が来るようになるのだ、というように僕は受け取った。断然間宮兄弟を応援する。そして女性の皆様この本をぜひ読んでくださいお願いします。
 先日のライブで至福のひとときを過ごされた方も多いと思います。これを貸してくれた同僚S君も、「素直に感動した」と言っていました。手放しで格好いい2001年の傑作。仕事が忙しくてピンチの時にこそ力が抜けていくようなこのアルバムは最高。ブラジル音楽の奥の深さ、カエターノの魅力がぎっしりです。僕のお気に入りは1曲目で、ミディアムテンポな曲ですが最初のドラムと、途中でギターとラップが入るとこがなんともかっこよくてついついこの曲だけリピートしたりしています。会社で音楽が聴けるのっていいです。S君貸してくれてありがとう。
 こういう本をまっていました。東京書籍さんに感謝です。「アフォーダンス」ということをデザイン・建築の観点から問いただすべく、佐々木正人、深澤直人、後藤武の三者による会談をまとめた本。事例が多くのせられていてほんとにわかりやすいです。後半の建築部門も脚注がたっぷりあるので建築初心者も安心。リファレンスとしても使えそうです。 デザインとは、「そこすっぽりはまる」ものを見つけ出すことで、新たに生み出すものではないということ、「私は、なにか、なぜか、これを知っていた」のに気づいていなかったことを目の前にふっと出現させることなのだ。これはモノをデザインする人間の当たり前の感覚としていた「モノありき」の考え方の間逆をいくものである。環境との関係性のなかに相即(はまる)ものを見いだす行為で、それはそこにあったのだ、最初から。そう、最初から。 auの携帯電話「nishikigoi」や無印の換気扇みたいなCDプレイヤーで有名な深澤さんのすごいところは、一発芸と鋭い分析とおだやかさが同時にあるところで、その点では後書きで佐々木氏がいうように「鈍さと鋭さの同居」する人という意見に納得です。アフォーダンスという観点から建築をみなおすと、どうもコルビュジェ、アアルト、ロース、そしてベンチューリあたりは非常にエキサイティングに思えてきました。知ってるつもりの建築家の作品ももう一度しっかり見直してみようと猛反省。
 村上春樹訳。村上氏が個人的にほうって置けない作家、小説の上手い下手でいうと、どちらかというと危なっかしい部類に入る作家、ティム・オブライエン。その危なっかしさが彼の小説を唯一無二の面白さにしている。本作はいろんな意味で曰くつきの1969年に大学を卒業したメンバーの同窓会を舞台に、そこから30年余りの出来事が語られる長編。アメリカという舞台と、同世代を生きた方はかなり感情移入できると思う。「ビバリーヒルズ高校白書」という番組が昔あったけれど、あのメンバーが30年後に同窓会をしたらこんな感じなんだろうな。戦争や離婚など50歳のアメリカの生活の縮図のような本。日本語版に関しては訳者の功績も大きく、分厚い本のわりに流れるように読めます。前向きでもないが決して希望がないわけでもなく、50歳の性を描くわりにはあっさりとした不思議な読後感。ほうっておけないというのが分かる気がしました。
グノーシスとはギリシャ語で「知識」。グノーシス派とは初期キリスト教の異端と言われている一派。女性を認める「キリスト教」であったため排除対象になる。創造神を否定、プレローマ(天上界)への霊的な回帰を目指す。神に選ばれたもの達が神と一つになれる。ということは人間と神のつながりを認める。なるほど神が絶対のキリスト教にしてみりゃ過激な思想だ。どっちみち宗教にはいささか危険な香りが充満していて、できればお近づきになりたくないのだけれど、中でもキリスト教は胡散臭さくて面白く、安っぽいメロドラマみたいで、子供達が幼稚園で「イエス様神様〜♪」と無邪気に歌っているのを聞くにつけ、あまり神様には頼らない方がいいかもよと心の中で思ったりしてます。 google先生のお導きによると、ユングいわく「グノーシスは人間の心の底に何者かの存在を認め、キリスト教はそれを認めない。キリスト教的な人間観は薄っぺらな自我を生み、グノーシス的な人間観はそれ以上の何かを生んだ。それは無意識と呼ばれるものを含んだ自己だ。」とのことなので、グノーシス教はむしろ仏教に近いというのもうなずけます。インターネットって神っぽいと思う今日この頃。
 映画化された「トニー滝谷」を含む短編集。つい最近村上氏訳のフィッツジェラルドを読んだのですが、その文章の奥にある空気感がフィッツジェラルドの世界を継承しているように感じます。この作品ではSF的な要素をうまく取り込んで魅力ある作品群に仕立て上げていて、お得意のジャズの世界「レキシントンの幽霊」、不思議な世界の「緑色の獣」などもいいですが、個人的には「沈黙」がグッと来ました。青木はいやなやつですがものすごく他人でないような気がしてぞっとしてみたり。そういう青木を見透かしてしまう大沢さんは、青木の対角にあるものでなく青木の中にある(逆にいうと大沢さんの中に青木がいる)補完的な人格のように思えたり。期待していた「トニー滝谷」も淡々とした空気と読後の透明感がいかにも村上氏的な良作でした。短編もすばらしいのだ村上さんは。映画はチェックすべしです、宮沢りえだし。
 この人はセンスの固まりなんだと思う。琴線というものがきっと人間にはあって、江國香織は言葉でそれを引くことができる。この「すいかの匂い」は少女時代のおそらく自身の体験にもとづく作品。短編ならではのキレの良さ、子供が感覚で分かっていることを文章で表現する力、その記憶力、リアルだけどリアルすぎない虚構力、そのバランス感覚は持って生まれた才能なんだと思う。レベッカ・ブラウンは記憶を力強い言葉で、わが身を削って表現するが、江國香織は圧倒的センスで読者をいとも簡単に掴んで離さない。子供の頃の夏がよみがえってくる、ちょっぴり冷たくちょっぴりあたたかい小説。
 カルヴィーノの死後、未完の作品をまとめて発行した短編集。推敲されつくしてはいない実験的な作品もあってカルヴィーノの模索が伺えます。表題の短編はイタリアの風景が言葉だけなのにまざまざと浮かんでくる美しいお話。幼き日の父との確執がテーマなんだろうけど未完ゆえ未消化なので宙ぶらりんな感じが、逆に素朴でいい雰囲気です。映画のエッセイ集とかそんなものもあったりして、カルヴィーノの思索が楽しめる一品。ファンならさらに楽しく読めるだろうコレクターズ・アイテムです。カルヴィーノ作、岩波少年文庫「マルコヴァルドさんの四季」はぜひ子供達に読んでほしい名作。
 めったなことでは40点満点を出さないのがファミコン通信クロスレビュー。もう20年近くチェックしていますが、記憶の限りでは「ゼルダの伝説:時のオカリナ(N64)」「ベイグランドストーリー(PS)」ぐらいしかありません。記憶の正しい方補完お願いします。FFもドラクエもそしてマリオですら獲得していない満点。本当に久しぶりにでました!!! それは・・・「NintendoDS」の「Nintendogs」!(一文字違い)。クロスレビューの信憑性についてはいろいろあるのでしょうが、満点というからには身銭を切って試さねばならんでしょう。
タッチペンで犬をなでたり、音声入力したり、通信でお友達ができたり(まだやりこんでないのでいませんが)、任天堂らしい「遊びのあたらしいあり方」を盛り込んだ意欲作。連れ合いにも厳しく指摘されましたが、なんでもバーチャルというのは異様な犯罪が増えてきた現在ではいかにも不気味で、子供に実はプレイさせたくない上位にランキングされそうでもあります。このソフト、音声入力が必要なので大の大人は一人で人前でできないという最大の欠点があります。はたから見ると単に危ない人です(笑)。かといってわいわいみんなでプレイというのとも違うので、誰がどんな風に遊ぶんだろうという疑問がわいてきます。ペットの買えない家庭の子供や、一人暮らしの女性で普段はゲームなんかしない人とかがターゲットなのでしょうか。いろんな意味での実験作です。その意気込みとソフトが切り開く可能性には満点をつけたいけど、どうも僕にはプレイする場所がないので減点です。もっというとうちには愛犬チャーリーがいるので、あまり必要なかったかもしれません。それは分かってたんだけどね。まだ買って10分ぐらいしかやってない時点での感想で申し訳ないです。せっかく買ったので大会ぐらいには出したりしてみたいな。うちの奥さんが猫アレルギーなんで、どうせならnintencatsというソフトだったらよかったのに。でも猫の場合はゲームにならなそう・・・。
 前出クチロロ、曾我部恵一につづく空ジャケシリーズ。KRS388,2003年、そうKill Rock Starsが送り出す歌心、Jeff Hanson。女声とも男声ともつかない天使のようなアンドロジニー・ヴォイス、そしてとことん美しいメロディ。同レーベルからということで、故Elliott Smithと比較されてしまうけど、湘北安西監督が三井寿に言う名セリフ「今の君は十分昔の君を越えているよ」とおなじく、jeffもelliottを超えていると思う。というものの比較すること自体に意味はなく、これだけ素晴らしい音楽がまた登場したことを素直に喜びたいです。アコースティックSSWの名盤、癒されます。
おそらく「カナカナ」を中心に最近活性化しているならまち付近はなかなかに雰囲気がいい。奈良は昔の都なので、古いものにはこと欠かない。高畑町というところに旧志賀直哉があったりするのだけれど、僕はとくにその辺が気に入っている。古い町屋とか、明治・大正っぽい和洋館とか、少しいやだいぶ寂れて蔦の絡まったまま放置されている住宅が混在している。ちょっと手を加えれば素敵な家になるだろうなという家が結構ある。いろんな事情で誰も住んでいないのだろうけど趣のあるものが多い。「古い」というのはちょっとやそっとではまねできないので、新築でかっこいいというのはある意味簡単といってよく、古い家を住みこなすといった方にむしろ感動する。そういうことと真逆の会社にいたのでその反動なのかもしれない。今はストックをうまく生かす技術(リフォームとかリノベーションとか)のほうに魅力を感じている。
今日は日々の雑貨と喫茶のお店「南果」さんの隣の敷地で行われた、高畑楽市というのにMさん一家と出掛けた。南果さんでたべた「フォー」がおいしかった。南果さんの入っている長屋もなかなか渋い物件である。そこもひとつ空きがあった。さらに隣の敷地の和洋館も素敵な佇まいだったが、おそらく空家。もったいない。<写真撮るの忘れたし個人宅なので勝手に乗せるのはどのみち×かな>。古い建物と今どきの建物のおおきな違いに、「窓」があると思う。古い木造にしろ和洋館にしろ、窓周りの意匠がすごく充実している。凝りに凝っている。古いものを観察するのはやはり勉強になる。奈良(実際は京都府郡部なんだけど)に住んでいてよかったと思った一日。
 モスバーガーにてうわさの高級品バーガーを食べました。ハンバーガーが610円!もします。中には1000円のも。注文すると「15分待ってください」とのことでまつことしばし。まず、フォークとナイフとランチョンマットが運ばれてきました。フォークとナイフで食べるハンバーガーって一体!?。そしてついに、大きな白いプレートに乗ってどうやって食べてやろうというぐらい大きなバーガーの登場。調理者の名刺も添えられています。直径が大きいのでなく高さがあって具が積層しているという感じ。フォークとナイフでどう解体していいかわからないので、力まかせにでバンズでぎゅっと挟んで大きな口をあけて食べました。日本人に合わせたしょうゆベースのソースでと極上パティでとてもうまい。これなら600円出してもぜんぜんOK。ボリュームも満点なのでランチにちょうどいいかも。ちなみに家族で分けて食べました。次回は一人で食べてやる〜。モスの狙うところは、もちろん客単価アップとおいしいハンバーガーというブランディングと、顧客の選別といったところでしょうか。近いうち1000円のもチャレンジしようと思います。
 阿部和重の直後に読む川上弘美。そのギャップだけでも楽しめます。ゆるりと流れる文章が、もてすぎるニシノユキヒコの不実さをさわやかな恋愛へと。こういう感じってもしかして少女漫画的なのかなと思ったりしてます。ふわふわと空想的な空気感は川上さんの持ち味。リアリティがあるようで実のところない。フィクションなのでいいのだけれど。好みとしてはフィクションであってそうでない境目あたりを追求しているものが好きです。ニシノユキヒコ、正直うらやましいです(笑)。でもこんなやついねえよ、ありえなさすぎだよ(と思いたい)。感情移入という点では、貞操帯をつけて土木作業にはげむ「ランドマーク」の主人公ぐらいのでたらめな設定のほうに票を入れたい。The Lucksmiths,Sodastream,Kings of convenienceとかの切ない系アコースティックとセットで読むと雰囲気。ぐるぐる巻きの装丁で目を回すという使い方も。
 神町という小さな街を舞台に、日本中の罪と問題点と変態とを一気に一つのサーガに盛り込んだ阿部和重。登場人物の多さ話の複雑さを感じさせない独特のドライブ感で分厚い長編を乗り切ります。気分の悪くなる表現のオンパレードで、ちょっと気分が滅入ってしまいました。複雑だけど連鎖するストーリーと終末へ向かってたたみかける殺戮と種明かしは、まるでハリウッド映画のようで阿部和重はやはり読者を見捨てない。阿部和重はどこへ向かうのか?それが楽しみな作家ではあるけれども、見捨てないが故にこのままではただ消費されるタレントになりかねない。
 初めてサンボマスターを見た(聞いた)のはYASKIさんちのスカパーで。曲は忘れたけどPVでボーカルが袈裟を着て歌っているやつ。元テンション田口浩正(懐っ)、カンニング竹山といった風貌の暑苦しさ(笑)で圧倒されました。なぜか前出2人とも福岡県出身のお笑い芸人で、もしかしてサンボもと思ったら違いました。お笑いでもないし。ナンバーガール的な知的暴力性というよりは、コンプレックスを吐き出す爆発性とおそらく本人もどうしていいかわからない衝動をシャウトに乗せて発散させている音楽。思っていることをうまく説明出来ない分熱くかき鳴らすギター。こういうのを魂のロックという。歌詞やメロディーよりも魂の伝わる音楽。ライブも相当いいみたいです。他人に引かれても前のめりで行きたいとき、そしてどうしようもなく泣きたいとき、僕はサンボマスターを聞く。
 村上春樹訳によるフィッツジェラルド短編集。冒頭の訳者によるフィッツジェラルド作品の解説が秀逸でこれを読んだ後に続けて短編を読むとすごく面白くなります。掲載されている短編は1920年代〜1930年代というかなり前の作品ですが、そのモダン度合いはちょうど同時期のモダン建築が持っているのと同じ輝きを放っています。村上訳のすばらしさなのか鮮度が保たれてい少しも80年前という感じがしません。自伝的・自虐的な作品は、美しさと悲しさを同時に存在する悲哀に満ちた世界を形成していて、時代の寵児が退廃へ向けて自分を切り売りする切実な感情が伝わってきます。
5月9日息子の誕生日です。おめでとう5歳。これからも面白発言をバシバシ決めてください。  数珠繋ぎの会話の中に真理を見いだしていこうとする「カンバセイション・ピース」の流れにある小説。こちらの方が先。ちょっとシチュエーションが違うぐらいで設定自体は似通っています。ただし平凡な会話をしっかりと小説として成り立たせるところがこの人の真骨頂であるところは間違いないです。猫、競馬、恋愛、宗教、音楽いろいろな話題の切り取り方が目から鱗もので、出てくる固有名詞(とくに音楽)が僕好みなのでよけい引きずり込まれます。登場人物はそろいもそろって社会生活不適合なのに(だからこそ)全員哲学者のようなスタンスを持っているのも格好いい。とくに元彼女のゆみ子は千里眼の持ち主、そんな人と別れる主人公もだらしなくて素敵だ。角田光代の現代フリーター事情的職なし人間とはまたひと味違った哲学的無職者の会話は一言一言が軽くて重い。保坂ワールド、ハマったら抜けられません。
 お向かいのYさん家には、ラブラドールが4匹います。フリスビードッグ競技をされていて、今日は試合が三木にあるホースランドパークというところであるというので、家族で観戦に出かけました。初めて見る競技でしたが、選手たち&ワンちゃんたちの技に感動しました。優勝争いをしている上位のチームの戦いがすごかった。優勝争いはボーダーコリー同士の戦いでした。犬種的性別的に雑種♂のチャーリーにはちょっとフリスビーは無理っぽい。 そういえばフリスビーをくわえた犬がジャケットになっているCDがあったよなと家の中を探してみたところ出てきました。「Heavy Vegetable」の95年の2ND「Frisbie」。タイトルもそのままですね。これがそのCDジャケット画像。ローファイブームの最中に出てきたバンドです。インターネットもぜんぜん普及していない時代に海外の通販で取り寄せたのを思い出しました。小技の効いたひねくれポップで愛聴してたなあ。ちょっとGoogleさんで調べたところ、なんと現PINBACKのロブ・クロウ!がいたバンドとのことで、すごく納得してます。
幼稚園でお祈りの会というのがあって、誕生月の子供は舞台に出てカードをもらったりするのですが、うちの息子が今月9日誕生日ゆえに出番なのでビデオをもってお祈りの会に参加しました。その後はお父さんの会の会合に参加、月末のファミリーデイ(親子であそべるレクリエーション)のお父さんの会としてのゲームを皆で考える。日本語版スクラブル動物編のようなものをやることに決定。超低予算で4歳3歳30人ほどと親御さんが一緒にが楽しめる遊びを知っている方いらっしゃいましたら他にも募集中です。 で、ちょっと早いのですが義理の母も来ているうちに誕生会(食事会)をしようということになり、ついでに誕生日プレゼントも買ってあげました。私からは親子グローブセット&バット。将来息子としたいことベスト3として(1)2人でキャッチボール(2)2人でラーメンを食べる(3)2人で酒を飲む、を掲げてきたのですが、前にも書きましたが(2)は実現済みで、(3)はしばらく無理で、とうとう(1)が現実のものとなりました。早速キャッチボールしてみたのですが、ぜんぜんちゃんとできてません(笑)。ですがそれなりにチビは楽しいようです。そんな息子を見て僕は顔は笑ってますが、心では大泣きです。子供のころぜんぜん遊んでくれない父としたキャッチボールは忘れられない思い出です。自分の息子とできるなんて・・・(泣)。こればかりはサッカーボールではだめなんだな。どうも野球というのは不思議な感情を引き出すようで、映画のフィールド・オブ・ドリームズとか、小説だとオースターや保坂和志などにも野球が重大な要素として出てきますが、すごく判る気がします。
 肝心の誕生会は近所のイタリア料理屋さんで。すごくおいしいかったし、誕生日ということでデザートに蝋燭をつけていただいて息子は満面の笑みを浮かべております。ただいま、義理の母のプレゼンと「カプラ」で猛烈に遊び中。こういうときのチビの集中力はたいしたもんです。
日記らしい日記を書こうと思います。くろんど池に山歩きに行きました。池周辺のバーベキューできるところらへんは興醒めですが、ハイキングコースは緑もきれいで楽しめます。が、その途中にゴミ(冷蔵庫、洗濯機、コンロ、雑誌など)が捨ててあって愕然です。お菓子の袋なども結構あってそれらは拾ってポッケに入れました。御願いですから800円の駐車場代を清掃に回してください。おまけに渓流みたいなのもあってきれいなのですが、ある部分から洗剤で濁ってました。その水を飲んでいたチャーリー。大丈夫か? 途中で蛇が出てきて(2回)、勇敢な我が愛犬チャーリーは果敢に挑みかかっていました。むかし嫁さんの家で飼っていたタゴは蛇をやっつけたことがあるそう。犬の戦闘力にはびっくりさせられます。役に立ちます。もう一匹飼いますかhonahonaさん?。それから地味に小さい虫をやっつけてました。でも彼は乗り物酔いが激しく、必ず吐いてしまいます。僕と妹も小さいときよく吐いていました。わかるぞチャーリー。乗り物酔いのメカニズムはよく知りませんが、本当に車の臭いだけでもうダメなんです。妹と編み出した乗り物酔い回避法は、(1)鼻で息をせず口で息をする(2)ミント系のガムをかみ続ける。そして、最近思っているのが運転する人のテクニック。うまい人と下手な人で相当違うと思います。ごめんよチャーリー。
 有名すぎる本です。自慢じゃないですがフィッツジェラルドを読んだことがなくて図書館で発見したので借りました。数ページ読んだ第一印象「ハルキ・ムラカミだ!」。村上氏が訳本を出しているのは知っていたし実際借りてきたのですが、フィッツジェラルド=村上春樹というのは必然なんでしょう(というか誰でも知っているのだろうけど)。1920年代の作品ということを考えるとその色あせない輝きは筆舌に尽くしがたいのだけど、プロット自体はそこまでの入り組んでいないし、初読の時点では読みやすい洒脱な本だという印象です。ただしフィッツジェラルドの世界が理解できてくるとどんどん面白くなるそうなので(後書きにノルウェイの森の主人公がこの本を何度も読むという話が出ている、僕はノルウェイの森も読んでない、汗;)、しばらくフィッツジェラルド本を読み進めてみようと思います。
追記の日記。義理の母を迎えに空港までさすがにGW、道が混んでます。運転と渋滞と納豆が大の苦手なので地獄でした。社内でだれも納豆食べなくてよかったです。そのあと法隆寺の知り合いのところで陶芸をさせてもらいにいく。素敵なお宅でおいしい地鶏バーベキューをいただく。「住む」という本がありますがその世界でした。世の中素敵な人がいるもんだ。で、車を近所のオートバックスの駐車場に泊めていたのですが、ライトつけっぱなしでバッテリー上がるの巻。泊めたところが泊めたところだけに(笑)すぐ交換できたので助かりました。バッテリーで怖い思いをしたことがあるので(木下くんと)、つないでもらって充電するより新品交換しました。高い駐車場代でした(泣)。
 我がホークスですがなんとか連敗から脱出しました。いやロッテ以外には滅法強いのですが今年はなにやらロッテが恐ろしいことになってます。そんな時ちょっと拗ねた後に一人で落ち着きたい時は、このAqualungの1stに限ります。アルコールとともにどうぞ。私好みの地味渋系枯れロック。BadlyDrawnBoyとEpic SoundtracksとEliott Smithとかをさらに叙情的に美しく昇華したAqualung。海に潜って母なる鼓動を味わっているかのような深い世界です。
 偶然かもしれませんが昨日チャーリー(犬)の散歩をしていると、猫を探している張り紙を見つけました。猫は死ぬときに姿を消すとよく言われます。いなくなった猫は子猫のようなのできっと迷子になったのでしょう。チャーリーには犬のお巡りさんになって猫ちゃんを探してもらいたいです。肝心の本作ですが、保坂氏の小説のなかでもライト版というか、登場人物が濃くないのでさわやかに読めます。猫の茶々丸を前の飼い主が探しているらへんのシーンが印象的で、気まずい雰囲気を子供っていち早く察するんですよね実際も。大人の会話をほぼ理解しています。この小説では子供であるクイちゃんがいい味をだしています。子供って本当に不思議です。発想がまったく自由で僕らが失ったなにかを持ってます。小説以上に驚きの毎日です。
 サニーデイ・サービス解散以後ソロに転向した曽我部恵一。3rdアルバムである本作は吹っ切れたかのような爽快感のある名盤に仕上がりました。1st、2ndのことを書くのは難しくて「曽我部氏の私小説のような」とかそんな感じぐらいでしか表現できませんが、今作に関しては簡単に「良い!」です。陽気な感じ・プラス思考的な感じ・前向きな感じでワンテイク録り下ろし(これは想像です)、さあどうだといわんばかりに。いかにもサニーデイ流ですがそれがいい。ちなみに前出クチロロのジャケと構図が劇似。熱い一枚、マストです。
 2004年WEATHERレーベルより三浦康嗣、南波一海の2人ユニット。歌モノとインストによる構成のさわやかな初夏の音楽。フリッパーズ、はっぴいえんど、キリンジなど好きな方にはビビッとヒットするでしょう。もちろん僕は直球ど真ん中でストライクです。インストはエレクトロニカでポストロックな懐かしくも未来的なサウンド。初アルバムにしてこの洗練度。間違いなく日本語ロックの集大成でかつ最先端。不思議な記号のようなバンド名は「クチロロ(kuchiroro)」と読むそう。そんな意味深な記号論的バンド名に違わぬ充実した内容。
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