FC2ブログ

歴史は繰り返すのか

衝撃的な「せんとくん」のデビュー以来、都道府県や市町村のキャラクター、イベントなどのキャラクターを個人的な興味から調べている矢先、こんなニュースが。要は<「見苦しい」「不快」と感じるような「残したくない景観」の写真を、奈良県が5月1日から募集する。>ということで、建築業界に身を置く物なら誰しも思い出すのが、「美しい景観を創る会」の「悪い景観100景」だろう。もともと2年限定の会だったようで、現在サイトは閉鎖されており残念ながらその活動の記録は見られないわけだが、パロディが残っているようなので引用しておく。「悪い景観100景を考え直す」(あさみ新聞)。
いたずら心から、せんとくんが載っているポスターや看板を奈良の街とか吉野の自然とかと合成し、送ってやろうかと思っているのは私だけではないはず。ただ不思議なもので見慣れてくるとせんとくんも許せる範囲かなと思えてきている。が、正直「寝そべっているせんとくん」が発表されたときには、なめられているようで微量ながら殺意を抱いた。話題があまりない奈良だけに全国ニュースになるだけでも、評価せざるを得ないのか。奈良の地元ではデザイナー有志で別のキャラクターをつくろうとしているとかしないとか。1300年の歴史に恥じない物が出来ることを祈るが、インパクトとしてのせんとくんに勝つ見込みは薄そうだ。
そこにきて、このニュース。京都映画村の公式キャラクター「うじゅ」。ここも参考に。京都人なら誰でも知っているカラス「かちん太」の妹だとか。設定の理不尽さ、激萌えな絵柄。キャラ対決ではせんとくんをも上回る。京都、奈良という古都でこのようなキャラクター達が生み出されたことをどのように解釈し、どのように扱っていけばよいのだろう。それこそ歴史が解決してくれるのだろうか。謎は尽きない。五十嵐さんどうですか(笑)?
スポンサーサイト



原初的な未来の建築 - 藤本荘介


藤本さんの初の単行本。ようやく購入できた。藤本さんのブログによると増刷決定したそうで、この本が売れに売れてくれることを切に願う。微力ながらサイズ大にして当ブログでも紹介させていただきます。内容については皆さん是非買って読んでいただきたいので詳しくは紹介しません。五十嵐さんの評にもあるように、1970年代生まれのもっとも重要な建築家の一人である藤本荘介の作品のすべてが網羅されているから、どのテキストもどの写真も見逃さないように。
圧巻なのは最後の藤森照信との対談で、これを読むだけでも価値があると思う。消費による疲弊と無秩序による混乱の時代のなか、原初に立ち返り未来を見つめるまなざしは本物だと思う。「建築」と書いてあるから建築の話であると思われて興味のある人を限る危険があるから、もっと広くの人に読んでいただきたい。最近個人的に嵌っているTCG用語でいうと「対象を取る」というのでなく「全体効果」を期待する。藤本作品は多くの人に体験してもらえるように「住宅」と「建築」の枠をはずしながら拡大を続けて行くべきだと思う。応援。

Shinnnosuke,Shinnnosuke,Don't Scratch My Vinyl!


某企画キックオフにつき横浜で打ち合わせ。五十嵐さん、槻橋さん、鈴木先生、平田さん、事務局メンバーなどなど10名。現場を見ながら構想を膨らませる。企画ブログでも発足すれば、たっぷり記事でも書きたいと思う。書かせてくれれば、だけれど。その後、トリエンナーレ事務局平さんのご紹介で、森山邸を見学できることに。またとないチャンス。標題のタイトルで、イタリア人アーティスト,Mario Gracia Torresが展示をしているとのことで、電車を乗り継ぎ目的地へ。現場へ行くと、西沢事務所の方とタカ・イシイギャラリーの方が準備中。あとでお話しをお伺いしたらカナダ(だったとおもう)の展示会で使用するビデオを撮影することのことで、所員さんたちも休日まで大変だ。楽しそうな仕事だから疲れはないはずだ。平田さん、槻橋さんと話題にしていた「Shinnnosuke」ってなんだ、については、写真を見ていただければ分かるとおり、森山さんちの愛犬の名前だった。なるほど。

森山邸の建築については、いろいろ書かれていること以上に僕が言えることはないのだけれど、現場に行ってというか森山さんにあって、この100年に一度ともいえる建築のすばらしさはもちろん西沢氏の功績であるとともに、森山さんの人柄というかセンスというか彼自身の魅力を表現しているからなのだと確信した。地下の展示でスライドをポケットに入れて1一週間持ち歩き、傷を付け、それを上映している作品があって、でもそれよりも、椅子の上にあった古川日出男の「ロックンロール7部作」や、ライブラリにあったステレオラブ「Music For The Amorphous Body Study Center」とかダイナソーjrとかのタイトルを発見して喜んでいたのは私だ。情報が漏れてしまい学生が大挙してきたため、「あまり相手できずに済みません、いつでも来てください」と森山さん。真に受けてまたゆっくりお邪魔できればと思っている。

前川國男自邸


ようやく見ることが出来た前川國男自邸。武蔵小金井の江戸東京たてもの園にあります。行ったのは先月なのだがようやくアップできた。大屋根と大きな開口が大胆な構成の建築で、コルビュジェの元で修行してきてフラットルーフを使わないあたりが巨匠。明るい室内はとても居心地がよく、インテリア、とくに水回りは感動の格好良さである。押入の中にもさりげなく収納の抽斗がたくさん着いていたり、生活者としての視点も忘れないあたりは流石としか言いようがない。これ以外にも江戸東京たてもの園にはいろいろな住宅が展示してあって、楽しめる。昔の下町の様子とか、古いトラックみたいなバスとか昭和ムードもなかなか。子ども達が遠足に来ていたりと、ほのぼのムードなおすすめ公園。

堀部安嗣 - 玉川田園調布の共同住宅



田園調布にある堀部安嗣の共同住宅。某PJでお世話になっている足立建築研究所(元竹山聖事務所で番頭だった足立氏の事務所)の近くにあるということで突撃を敢行。結構歩いた結果発見。写真で見るととても大きいのですが、ヒューマンスケールというのかこぢんまりしていて落ち着きのある印象。段差を有効に活用しているいて、エントランスにあるベンチ、サンクンガーデン(吹き抜け)などとても豊かな構成。実は一番見たかったのが外壁のオリジナルタイル。無骨な手作り感というか、素朴な表情というか、とてもいいんです、これが。写真ではまったく伝わってませんが。あと、バルコニーや扉のディテールがよくて見とれていた。場所柄もよくて(だって田園調布)住んでみたいという欲望に。良い物を見ると心が洗われる。堀部建築には癒されるとともに、吉村順三~ルイス・カーンといった巨匠の風格というか、突き抜けた何かがあるとおもう。それはとても洗練されたなにかで、むしろ宗教に近いものだ。

堀部安嗣の建築 form and imagination

年齢や嗜好を問わず幅広いく好かれる堀部安嗣の初の作品集。どんな家に住みたいかと聞かれたら真っ先にこの人の作品が頭に浮かぶ。実作を見たことはないのだけれど居心地とか五感に訴える快適さがきっとそこにはある。それも設備機器になよるのではない建築本来の快適さだ。堀部の建築の快適さは大きな木の下とか洞窟とか草原とかいった自然の持つそれに近い。難しいこと抜きで理解できるのだ。和製ルイス・カーンともいえる、素材感とディテールの良さ。光と影。基本を抑えることの大切さをまざまざと見せつけられる。「想像」と「現実」のギャップが建築においては常につきまとう。それらは相反するものだ。しかし、相反するものをうまく飲み込んだときすばらしい建築が生まれる。それは、操れないと思われている時間を操る技術の一種なのかもしれない。それは、共感し過去も未来も含めて尊敬しあう「高貴にして寛容」な態度なのかもしれない。一家に一冊どうぞ。

美しい都市・醜い都市

仕事でもお世話になっている東北大准教授五十嵐太郎氏による都市論。美しい都市について、「美しい景観を作る会」を真っ向から批判するパートから本が始まる。日本橋の再開発を誘導したいであろう経済目的の東京バブル発想を、「美しい国」論とすり替えてしまうのに明らかに問題があるのに、なんとなく正しいかのような錯覚でことを進めようとする。美しさは相対的なものであって、全国民共通の概念など無いはずだ。ワーストとされる夜の歌舞伎町や、道頓堀は、サイバーパンク以降の世代にとって醜いとは決して思わない風景である。問題とされる日本橋の首都高はむしろ美しいとさえ思えてくる。

日本の里山や民家の集落ももちろん美しい。東京や大阪のカオスもそれはそれで十分魅力がある。日本橋がヨーロッパ風になってなんの意味があるのだろうか。京都の鴨川にフランス風の橋を架けてどうするつもりなのか。欧米に憧れる時代に戻るつもりなのだろうか。美しい景観を作る会の理想とする要項を実現してしまった町があるそうだ。もちろんこの本にしっかり出てくる。それは北朝鮮の平壌だ。張り紙のない、ゴミのない、統制の取れた美しい町。同じアジアの国だ。善いものも悪いものも何でも飲み込んでしまうような蠢くトウキョウシティ、オオサカシティはやはり魅力的だ。政府が推進する美しい国づくりの理想から奇妙な愛国心が顔を出し、妙な方向へ行きそうで不安だ。もっと民間のパワーをつけないと責任感のまるでない役人はきっと何も考えていないかひどいことを考えているかのどちらかだろう。

五十嵐節の真骨頂は8章「押井守の未来都市」にあると思う。押井守からミラン・クンデラまで、建築だけではない守備範囲の広さと極小の睡眠時間(想定一日2~3時間)に恐れすら抱く。ともかく氏の論評は読んでいて気持ちがよい。ストレス発散になる本ていうのはそうはない。

大丈夫ちゃんと生きてます

新宿のOZONEで開催されている「第1回リスボン建築トリエンナーレ帰国展」へ。とても聞きたかったシンポジウムのほうは時間が合わずに聞けなかったが、仕事で知り合いになった今回の展示企画キュレーターの平さん(もちろんリスボン建築トリエンナーレのキュレーターは五十嵐太郎氏)の案内で展示を分かりやすく説明してもらい得をした。パネルをちゃんと読んだり、説明無しで展示の会場のデザインを体で感じるというのもあるのだろうけれど、裏話を含める口語の解説に勝るもの無しである。彦坂尚嘉+新堀学両氏による「超一流日本美術品を集結させた巨大美術館構想」のスケールの大きさとばかばかしさがすごい。なんなら前田建設ファンタジー営業部へ見積もり依頼を出せばいいのにと思っていたら、動向のT師匠が同じことを言っていたので驚いた。というか、彦坂氏本人がそこにいて、世間話にT師匠がそのネタを振ったら関心を示されていたので(社交辞令かもしれませんけど)さらに驚いた。アーティストはやはりスケールがでかい。皇居は負けず劣らずでかい。歴史が違うし。

建築家+写真家のコラボレーション展示があって、要するに建築家の作品をいろんなカメラマンが撮影するというものだったのだが、どれも面白かった。ここのブログでも紹介したことのある、平田晃久氏(+木暮洋治)の作品はどう考えても「空間は同時存在の秩序である」というライプニッツの言葉の写真的かつ建築的解釈だろうと納得。建築が消費財になりつつある悲しい昨今(ならなかった今までも悲しいけれど)、彼らのような奥の深い、どっしりした人物がいるなら安心だ。会場デザインの松田達さんにもお会いできてよかった。夜はsuzuさんとN氏と沖縄料理をいただく。ちょっと体調がいまいちだったが、気力のほうが充実した一日。

→続きを読む

日本一


ギャラリー間の卒業設計日本一展へ。今年の日本一は京都大学の藤田桃子さん。どうやら京都の町家だそうだ。第一印象として感じたのはそのはずば抜けたセンスの良さだ。公開プレゼンの様子が会場で流されていたが、藤田さんの声の調子を聞いていて、柴崎友香の小説を思い出した。柴崎友香の声を聞いたことがないから、おそらく僕が勝手に柴崎友香がしゃべったらこんな声なのではないかと思う声に似ていたか、あるいは藤田さんがしゃべっている内容が柴崎小説のようだったかのどちらかかあるいはその両方か。現代らしい平坦さ、そして町の情景を描き出す力と。決して力むことのないその飄々とした雰囲気はこれからの建築を変えてくれると思う。審査員のだれかがこの案を一位にすることに対して建築として社会に対する問題意識の弱さを指摘していたが、審査の総意として一位に選ばれたことに安堵を覚える。多分この不思議な案はそういった正統(と思われている)的な常識を越えているところに意味がある。作者にさえわからない何かを作り出したところに意味があるのだ。

→続きを読む

Re:建築と言語

KJ君へ:
この名前を使うのは久しぶりだから違和感を覚えつつ私信の返信。

建築は言語によって支えられていることは間違いようも無いことだけれど、もしかするとそれは言葉によって支えられる西洋的な世界観に基づく解釈なのかもしれません。東洋というか特に日本は言葉による伝達よりも感覚とか<野生の思考>によって空間を感じ取るといったことが日常だったのだと思います。神を形而上にみたアリストテレスの西洋と自然の森羅万象に見た日本の違いと言い換えてもいいでしょう。

建築と言語が相互補完しながら成り立っていくのはとても面白くて、それは建築を楽しむ方法として作り手だけでなく読み手側としても必要とするものです。僕らは近代以降そういう建築教育を受けてきています。これはどうも西洋的だと思うわけです。そういう理屈のもとに建築を解釈していく作業は、専門家どうしの楽しみだともいえます。

陸橋や意匠を排除したような土木建築物をみても美しいと思うことが確かにしばしばあります。それはその構造になにか自然にちかい生成原理が作用しているからだと思うのです。僕ら動物はなにかを美しいと思うとき、そこに自然を見ているのです。理屈ではなく<野生の思考>的に瞬時に、「いいなあ」と思ってしまうのです。いわゆる日本建築の美しさはそういうものを基準にしていたのではと近頃よく考えます。「木」、「森」、「空」や「川」や「海」のように自然にあるものに逆らわず、自然のあるがままの法則に従って建てられる美しさのことです。

これからの建築は言葉と忘れられつつある身体性を兼ね備えているものが必要だと僕は思うのです。「つくる図書館をつくる」の中で中沢新一が言っている非線形の建築というのは、そういう意味のことを言っているのであって、歴史的に名作であろう伊東豊雄の多摩美図書館をもっとも的確に表現しているようです。もしくは建築ぜんたいがその方向へと向くであろう予言をしているようです。

答えになっているようでなっていないような回答ですが。また。
最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
月別アーカイブ
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
RSSフィード
リンク
プロフィール

yoshiii

  • Author:yoshiii
  • I君のBlackwatchに捧げるBlog