駅からの帰り道、曲がり角を曲がって家に降りる最後の坂道。なんだか上から誰かに見られているような気がしたから、空を見上げた。いつに泣く透き通った夜空にはたくさんの星が見えていた。オリオン座がこっちを向いてはいたが、そのほかの数多の星の名前はまったくといっていいほど分からなかった。星座の名前とか形とか自分でもびっくりするほど知らないことに気づいた。せめて北極星を探そうと、北のほうを見てみたが、北極星ですら自信なさげにこちらを見返した。
「私、北極星と申します。有名な北斗七星の長兄です」。そう言っている気がしたのは、つい先日、北斗の拳のDVDを見たからに違いない。白鳥座とか牡牛座とか有名な星座も、どうみたってそんな形はしていないから、昔の人がどのように補完してみたらそうなったのかやはり分からない。何とかして白鳥を見つけようとしてみたが、白鳥はいなかった。ずっと上を見ているうちに家に着いた。明かりは消えていたが、ストーブの匂いはまだ残っていた。
久しぶりに徹夜作業をした。会社の床で寝袋に包まって寝ていると、というかなんだか寝れないので、アイバ君の出るドラマをみることにした。アイバ君のアイバ度合いにいらいらしていたから寝れなかったのかもしれない。TVを切って寝始め、しばらくすると、ブーンとバイトのM君の使っているMacが突然起動しはじめて、怖くなった。ともかくうとうとして目が覚めたら4時だった。そこからクライアントにいくつかメールを書いて、明るくなったので家に帰った。
そのまま風呂に入って、子どもたちの発表会に出かけて、息子のダンスと娘の八郎をみた。八郎はあの絵本の「八郎」でそのワイルドな髪型がすごくすごく印象深い、もちろん「村のみんなを守るために大きくなった」たいした男の話である。利権だけを守るためにダムを作っている方みんなに読んで欲しいのである。久しぶりに八郎をみたから、八郎のワイルドさにしびれて「八郎の髪型はワイルドだなあ」と嫁にいったら無視された。その後仕事に行くと納品のソフトのインストールがうまくいかず焦るも頼りがいのある先輩の技術でクリア。ひと段落。
日曜は息子を連れて仕事。帰りに、鴨川へ寄ると、いつものように河原には等間隔に人が座っていて、二人で間合いを見計らって座り、まるしげで買ってきたグミをたべた。鴨川の上には何羽ものトリが飛んでいたが、そのなかでも一羽特別に大きい鳶がいて、その飛ぶ様子に二人して見とれていた。「お父さん、あの飛び方なんていうかしってる?」「かっくうっていうんだよ」と息子が教えてくれた。そういえば、息子は発表会で宮沢賢治のよだかの星を暗唱していた。鳶もどこかへ行ったので帰ることにした。息子はなぜか河原の壁を登り始めた。結構きつい壁なのに、うまく蔦を利用して登りきっていた。私はそれを下から眺めていた。
たまたまNHKでやってるテレビをみたら、以前仕事でお会いしたことのあるロボ・ガレージの高橋さんが出ていた。スイスのウォッチバレーへ新作ロボットのヒントを探しにいくという企画だった。高橋さんのロボットは愛嬌のあるデザインで有名だが、ロボットバカともいえるその頑固職人気質のほうがもしかすると有名なのかもしれない。その職人気質とやらではさらに上を行くのが、スイスの時計職人である。その歴史と、技術の細やかさは惚れ惚れするばかりだ。家一軒ぐらいは変えてしまう時計があったりするというが、その手間隙を考えたら(3年で1本とかあるらしい)しかたあるまい。全てのパーツを手作りしてしまうというのには恐れ入った。職業柄というか、コスト敵にというか、あたりまえに既製品を組み合わせて何とかしようと考えてしまうが、治具から手作りしてしまうというのは発想にない。デザインするから3年待ってくださいとか一度は言ってみたい台詞のひとつである。私の子ども時代にはドラえもんとか、21エモンとかそんな時代が21世紀にはくるというのは信じて疑いようのない事柄だった。でもまだ、そこまでの技術はできていない。
じゃなくて城島の件について。ソフトバンクに帰ってこないのは、やっぱり一回でていったら帰りにくいからなのだとおもうのだけど、やっぱり寂しい感じがする。田上ががんばっているから、まあいいけど、ジョーがいると安心ですよね。阪神こそキャッチャー必要っぽいから渡りに船な真弓の心境もわからんこともない。ポストシーズンはまあ日ハムと巨人のシリーズが残っているけど、どちらも応援していないので静観で。ここ数年ソフトバンクはついていない感じが否めなくて、戦力がだいぶ落ちているような気がしてならない。阪神−ソフトバンクの日本シリーズを来年こそ実現していただくよう、応援を惜しまない所存である。

木下、M家、T家、Iさんと山城森林公園へ。料理がとても上手なチームですから、うまいものだらけで。ついついビールを飲んで、弱いから眠くなり寝ていた。森林のなかはとても気持ちが良いので癒されます。小雪とマチャアキが作っていたチヂミをマネして作って見た。火力が調整できないBBQコンロでは、ニラはそれなりに食べやすく切った方が良い。米の粉をまぜるともちもちして美味しい。Iさんのもってきた食材がとてもおいしくてさすがはプロ。食べ物は外で食べた方がおいしいので、いっそ外で暮らすのもよいかもしれない。あとは箸よりも手でつかんで食べる方が美味い。
嫁さんの小屋に子どもたちと出かけた。高速道路の下の田んぼの畦道をてくてくあるいていくと10分ほどで、小屋のある畑に着く。途中たくさんの実をつけたみかん畑があったり、ゆずのお化けみたいなおおきな柑橘系の実がなる木があったり、夏にはめだかがとれる用水路には飢えたたくさんのヒルや、お腹を上にむけて浮かんでいる蛙がいて、そのすぐ横の砂利道には軽トラックにふまれて半分になった亀のなきがらがあったりする。秋から冬にかけての寂しい田舎の風景は、安心と不安の入り混じった乾いた匂いがした。畑の中にある小さな小屋に着くと、何人かのお客さんがきていた。小屋の横にあるさらに小さい濃緑の箱の中で、お店のFさんやMさんやらが、忙しそうに働いていた。おにぎりと豚汁があるということで、さらにとなりのグリちゃんとこで、とりと大根のカレーとバターケーキを買ってきて、子どもたちとおいしく食べた。青空(といっても曇ってはいたけど)の下で食べるご飯はどうしておいしいのだろう。
小屋はすこし敷地を広げていて、畑と土の砂場が増設されていた。砂場で子どもたちが「どろだんご」を作っていて、そこにNさんたちも加わりなにやらとても楽しそうにしている。「どらだんご」はとても上手につくると、ぴかぴかでつるつるなとても綺麗な球になってなんだか愛着が湧いてくる。一足先に家に帰って昼寝をしていると、子どもたちが帰ってきて綺麗なだんごと汚れた手と素敵な笑顔を見せてくれた。土と触れ合うことはなにか特別な儀式のように思えた。

平等寺のすぐ前でまるで漫画のような風体のおでんやさんがあるのを、このあいだ発見したので、会社の同僚と行って見た。有名な店なのかは分からない。昭和7年うまれのオヤジが経営しているその店は、なんとも昭和な感じで落ち着ける。だがオヤジはすでにだいぶ泥酔していて、北海道大学の校歌を歌い始めた。おでんはおいしくて、すこしカレー風味のロールキャベツとか北海道の馬鈴薯をつかった揚げ物とか、銀杏やしらたき百合根など7種類もの具のはいった巾着とか、オヤジは見かけによらずけっこう細かい仕事をしている。店にはすでに2人のお客が来ていて、一番奥に原研哉似のダンディな方でその隣に泥酔中の和服でちょんまげの方。(仮)原さんは大学の先輩で学科も同じということが分かったが、もう終電の時間になってしまい、話があまりできなかった。また次あったら話をしようと思う。ちょんまげはどこぞの京都のボンボンだとおもっていたら、東京からきたとのことで京都駅まで一緒に帰ることにした。あまり勝手が分かっていないようだったから、タクシーで送ってあげようと思い声をかけた。ちょんまげは店を出ると、「もうむかつくなー」となぜか怒りを露にし、それは私に対してなのかオヤジにたいしてなのかはさっぱりわからないが、威勢のいい歩き方でまったくタクシーを捕まえるべき烏丸通りとは逆の方向に歩き始めた。私もなぜか腹が立ったので、無視してそのまま帰ろうかと思ったけど、ちょんまげも11時前には駅につかないとバスに乗り遅れるといっていたので、走って追いかけ烏丸通りまで連れて行ってあげた。気まずい感じでタクシーに相乗りして駅までいくと、ちょんまげがお金を払ってくれた。「がんばって」となぜか励まされたが、それは上から目線的ななにかだった。親切心を働かせたつもりが、嫌悪感となって帰ってきたすごく損をした気分な夜だった。同僚に会計をまかせてきたが、良心的な値段かどうかが急に心配になった。
こどもたちは南山城村へオリオン座の流れ星を見に行った。それはそれは綺麗だったそうだ。私が家に帰ると、誰もいなくて玄関には鍵がかかっていた。夜の11時すぎ。寒いから近所をぐるぐるまわって、それでもまだ帰ってこないので、嫁と娘の携帯に電話してみると留守電だし、いかにも電波届かないところに行っているので仕方ないとおもい、遠くの自販機まで缶コーヒーを買いに行って家の前で飲んでいると、パトカーが巡回してきたのでうろたえる。そんなこんなで1時間しても帰ってこないので、流石に心配になって電話するも、通じず。仕方ないので、近所の公園の池の周りをうろうろしてオリオン座をながめていた。一つぐらいは星が流れたように思えたけど、それはきっと気のせいでしかない。さらに30分ほどすぎてようやく連絡が取れたが、まだ山を下りている最中のようだった。流れ星が見えるのが先か、職務質問を受けるのが先か、徘徊を続けなくてはならない長い長い夜だった。
当方あまり社会派ではないのだか、ダムのニュースを見るにつけなんでまっとうなことがまっとうに出来ない人たちがいるのかさっぱりわからない。というかもうずばりお金なのでしょう?それが見透かされているのになぜ?226事件の青年将校の様な風貌の前原氏の覚悟に期待する。余計なものを余計だといえる常識を持って生きていきたい。そのほかにも、アフガンの問題とか消えた年金の問題とか、民主党には宿題が山積ではあるが、前政権の残していった宿題でもあって、それは私たち国民の宿題でもある。
アフガン戦争ということで、傭兵なんて言葉を思い出した。傭兵という職業の日本人がいったい何人いるかは知らないけれど、花ちゃんという知り合いがいて、普段は何もしていないそうなのだが、何もしていないっていったいどれほど何もしていないかは本人に聴いても「ニートです」意外の返事は帰ってこないので定かではない。傭兵とはいっても、戦争に加担するような傭兵ではなくて、カードゲームの大会に晩ご飯代で雇われて参加して優勝賞品をさらっていくそんな傭兵である。世の中いろいろな仕事があるけれど、ニート傭兵という稀有なジャンルがあるのを皆さんにも御理解いただきたい。インテリクールな花ちゃんはただ誰よりも強いのである。彼は「ご飯さえ食べれれば死なないんで」という名言を生んだ男でもある。
ブログなんてものが流行していたときは、毎日のように更新するのが楽しくていろいろ記事を書いていたように思うけど、飽きっぽい性分なのですこし忙しくなって書かなくなると、ついサボり癖がついてしまう。精神的に落ち込んでいたとかそんな事件もあったりしたのが昨日のようなのだけれど、一年なってあっという間なことにいまさら気づいたりしている。TwitterとかTumblerとか新手のツールをインストールしてみたが、まったく使いこなせていないあたり、年を取ったなーと正直に思う。カードゲームの大会とかに行っても、さすがに萌えスリーブの使用率の多さに辟易したりしてしまうのも、年を取ったなーと思う瞬間の一つである。昔作った家の木製の塀が先日の台風で倒れていたから、直そうとしたらもう足元から腐っていて、そこにも年月を感じたり、お世話になっているIさん、Mささん一家とのみに行って、Iさんのご子息(0歳)を抱いたときの感触も覚えていないぐらいとても懐かしく感じたのも、やっぱり年を取った証拠なのだと思った。
だいぶ前にある友人に「ブログ最近書いていないね」というと、「もうあんまり書くことが、いいたいことがなくなったんです」といわれたこととがあったけど、まさに今そんな会話を思い出しながら、自分の「いいたいこと」の数のあまりの減少に驚いている。いいたいことが大してなくても、いい音楽とか、面白い本とか、買いものの結果とか、旅行の報告とか、日常の些細なことでも記録を残しておかないと、あっという間に還暦なんじゃないかと不安になりながら書いている。